那珂川町: 鷲子山上神社

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鷲子山上神社
鷲子山上神社
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鷲子山上神社 鷲子山上神社 鷲子山上神社 鷲子山上神社
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鷲子山上神社概要
鷲子山上神社概要: 鷲子山上神社の創建は大同2年(807)大蔵坊宝珠上人が阿波国(徳島県)の天日鷲命を勧請したのが始まりと伝わっています。歴代領主や権力者達からも崇敬され鎌倉時代には源頼朝が社殿修理料を寄進し、その後周辺を支配した武茂氏の崇敬社となり社殿の再建や社領の寄進などを行っています。江戸時代に入ると幕府の庇護となり社領20石の朱印状を渡し除地免税地100石を認めていました。又、水戸藩主、徳川光圀が2度参拝(境内にある伍智院では黄門さまが休息に使われた部屋が保存されています。)したとされ"鷲子山十景七奇"を選定、9代藩主斉昭がその碑を建立しました。創建当初は本宮の地(朝日嶽)に鎮座していましたが天文21年(1552)に現在地に移り、社殿を再建、その時建てられた本殿が現在の原型で天明8年(1788)の大改修を経て今日に見られるような姿になりました。本殿の建物は案内板によると「 本殿は、三間社流造り銅板葺きで、天文21年(1552)に再興されたのち、天明8年(1788)に建替えられたものである。本殿向拝の柱、頭貫の彫刻化された構成と装飾は、類例を見ない奇抜な手法である、また、身舎の彩色を施した多くの彫刻とその装飾の豊かさは、関東地方における社殿の彫刻装飾の流れを知るうえで重要である。」とあります。又、鷲子山上神社は古くから神仏混合の形式を持っていた神社であることから神社境内でも山門(楼門−安養閣の別称があります。)が設けられ、正面には随神像が裏側には仁王像が安置されています。山門の建物は案内板によると「 隋神門は、三間一戸入母屋造り銅板葺きで、文化12年(1815)の再建である。一階の正面両脇の間に隋神像、背面両脇の間に仁王像を安置し、中央間には扉を設けていない。一部未完成の部分があるが、組物や軒に独自の手法が用いられるなど、社殿構成の一環として重要な建造物である。 」とあります。鷲子山上神社境内が栃木県と茨城県両方の県境になっている為、鷲子山上神社本殿、隋神門は共に栃木県・茨城県指定重要文化財に指定されています。

 
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