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 栃木県・矢板市・木幡神社

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【 概 要 】−木幡神社の創建は延暦年間、坂上田村麻呂(陸奥按察使、陸奥守、鎮守将軍、征夷大将軍)が東夷東征の際、戦勝祈願をし見事勝利を得たことから許波多神社を勧請したことが始まりと伝えられています。歴代領主に崇敬され天慶3年、には藤原秀郷(近江三上山の百足退治の伝説、平将門を平定)が社領1000石を寄進、永承6年には前九年合戦の戦勝祈願に源頼義、義家父子が訪れ、建久4年には源頼朝(鎌倉幕府初代将軍)が愛犬の病気快癒の祈願に訪れたとの伝承も伝わっています。平安時代末期の寿永2年(1183)、寿永2年(1183年)に源頼朝の平家追討軍に参加し、山城国宇治郷にあった木幡大明神に戦勝を祈願し、翌寿永3年(1184年)正月20日、宇治川の戦いに出陣し、戦功を挙げて勝利。その後も、平家と戦いながら転戦し、平家が滅亡すると文治2年(1186年)3月15日、戦勝に感謝し、木幡大明神を遷宮し、塩谷郡の惣社として木幡神社を創建し、塩谷氏の氏神とする。当時領主塩谷惟頼は源頼朝に従い平家追討に従軍し、山城国宇治郷に鎮座していた木幡大明神戦勝祈願し、寿永3年(1184)の宇治川の戦いで勝利を得て念願が達成すると神意に感謝し文治2年(1186)に木幡大明神の分霊を勧請し、領内の総鎮守と定め代々の崇敬社としました。戦国時代末期塩谷氏が奥州仕置きにより改易になると(主家である宇都宮家が改易になった際に連座したとも)、庇護者を失いますが江戸時代に入ると幕府から庇護され社領200石が安堵され日光二荒山神社を相殿するなど日光東照宮とも関係が深い神社です。現在の本殿は室町時代中期に造営された建物で三間社、流造り、銅板葺き、楼門も室町時代中期とされ三間一戸、入母屋、銅板葺き(茅葺)、八脚楼門で共に室町時代の建築の特色が見られるものとして国指定重要文化財に指定されています。
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木幡神社(矢板市):周辺の見所

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