栃木県・大田原市・雲巌寺

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【 概 要 】−雲巌寺の創建は大冶年間、初叟元和尚が入山開基したと伝えられています。当初は山伏である高梨勝頼が居を構えていましたが仏国国師がこの地を訪れると国師に師事し、弘安6年には時の執権北条時宗の庇護により七堂伽藍の大寺院を建立、寺号を雲巌寺としました。寺運は隆盛し永平寺、聖徳寺、興福寺と並び禅宗の日本四大道場称せられ程になりました。天正18年烏山城主那須資晴は小田原参陣を果たさなかった為、豊臣秀吉による奥州仕置きの対象となり兵を向けられます。その際、那須資晴が雲巌寺に逃げ込んだとの噂が流れ、秀吉軍は雲巌寺を焼き討ちにします。堂宇、記録、寺宝のほとんどが焼失したとされ絹本着色仏国国師像や絹本着色仏応禅師像、山門などが奇跡的に焼失を免れました。元禄2年には松尾芭蕉が"奥の細道"行脚の際、雲巌寺を訪れて" 啄木も 庵はやぶらず 夏木立 "の句を残しています。
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雲巌寺(大田原市):周辺の見所

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