栃木県・矢板市・寺山観音寺(行基菩薩縁)

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【 概 要 】−寺山観音寺の創建は神亀元年、聖武天皇(第45代天皇)の勅願により行基菩薩(奈良時代の高僧)が開山したのが始まりと伝えられています。当初は法楽寺と称し高原山剣ヶ峰近くにありましたが延暦22年に落雷により焼失し、大同元年、平城天皇(第51代天皇)の勅願により、坂上田村麻呂(大納言兼右近衛大将兵部卿、陸奥按察使、陸奥守、鎮守将軍、征夷大将軍)が現在地へ移し、徳一上人(奈良時代から平安時代前期にかけての法相宗の高僧)が中興開山したそうです。正治2年には法橋行縁が堂宇と境内を再整備し仏像などの修復も行っています。中世は領主だった塩谷氏の祈願所となり庇護され寺領1000石を寄進、戦国時代末期塩谷氏が奥州仕置き(天正18年:1590年、小田原の役の際、豊臣秀吉に謁見しなかった北関東と奥州の諸大名は改易となり、謁見し秀吉に臣従したものは領土が安堵された。塩谷氏は小田原参陣を果たせなかった事から改易になったと思われています。別説では文禄4年:1595年、本家筋の宇都宮家の改易に連座して改易になったとされます。)により改易になると、宇都宮藩主の祈願所や幕府の朱印寺となって庇護されます。江戸時代を通して1月15日には住職が宇都宮城に登城し藩主に祝賀を行う事が恒例だったそうです。現在でも文化財指定された多くの寺宝を所有しており、建物も天和4年に建てられた観音堂や三間一戸、入母屋の楼門があり平成9年に選定された「やいた建物十選」に選ばれています。
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寺山観音寺(矢板市):周辺の見所

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