栃木県・宇都宮市・宇都宮城

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【 概 要 】−宇都宮城の築城は天慶3年、藤原秀郷が築いたとされます。宇都宮氏の祖である藤原宗円は前九年合戦の功により下野国の領主となり城郭の大幅な改修を行いました。宗綱の代で下野守護職として下野、常陸の領主となり以後530年間宇都宮氏の居城として繁栄しました。戦国時代末期、親戚である佐竹氏と共に小田原参陣を果たし豊臣秀吉から本領18万石が安堵されましたが、慶長2年突然改易され、慶長3年からは蒲生秀行が入り、江戸時代に入った慶長6年からは奥平家昌、元和5年からは本多正純が15万石で入城します。正純は宇都宮城の大改修を手掛け、1キロ四方に及ぶ外堀を主に4重の掘りを開削し、馬出しや石垣の新設など現在の宇都宮市中心部の基礎となる町割りを建設しています。特にこの地は奥州街道と日光街道の宿場町で、将軍が日光東照宮の参拝時の休息や宿泊に利用された為、重要視されました。しかし、正純は元和8年に権力争いから11か条の罪状嫌疑を突きつけられ、本荘城5万5千石へ転封を命じられたがこれを拒否し、改易となりました。その後、大沢郷宿へ捨扶持1000石となり、さらに佐竹氏預かりとなり横手に幽閉され最期を閉じます。宇都宮城は江戸に近い事もあり正純以降も譜代大名が歴任し、江戸時代中期まで短期間で何度も藩主が交代しています。安永3年に戸田氏が7万7千石で入封すると明治維新まで戸田氏が藩主を歴任しようやく安定した藩政が行われるようになりました。戊辰戦争では宇都宮城周辺は激戦地の1つとなり戦火によって建物の多くは焼失し、後に廃城となります。現在、宇都宮城本丸は公園として整備され富士見櫓、清明台櫓などが復元されています。
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宇都宮城(宇都宮市):周辺の見所

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