【 概 要 】−大谷寺は弘仁元年(810)、平安時代の高僧として知られる弘法大師空海が全国を巡錫し、当地を訪れた際、霊地と悟り岩肌に本尊となる千手観音像(磨崖仏)を彫刻し創建された寺院です。中世に入ると長く当地を支配した宇都宮家の庇護となり、大きく繁栄し、一説には宇都宮家の祖とされる藤原宗円は大谷寺の住職をしていたとも云われています(滋賀県大津市に境内を構える三井寺出身という説もあります)。慶長2年(1597)、当時の宇都宮城の城主宇都宮国綱が改易になり大名家からは没落すると、大谷寺は衰退しますが、江戸時代に入ると奥平家昌が入封し宇都宮藩を立藩、元和年間に家昌の跡を継いだ奥平忠昌が庇護した事で再興を果たしています。家昌は奥平信昌と徳川家康の長女亀姫との間に生まれた嫡男で、宇都宮藩の藩主に抜擢には天台宗の高僧で幕府の重鎮だった天海大僧正が尽力した事から、大谷寺の再興には亀姫と天海大僧正の高弟である伝海和尚が大きな役割を果たしたと伝えられています。その後は歴代宇都宮藩主や天台宗の上野寛永寺、日光の輪王寺などの庇護を受け再び寺運が隆盛しています。堂内には弘法大師空海作の千手観音像の他、全部で10躯の磨崖仏が保存されており「大谷磨崖仏」として大正15年(1926)に国特別史跡に昭和36年(1961)に国指定重要文化財に指定されています。坂東33観音霊場第19番札所。
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