佐野市:一覧 |
佐野厄除け大師 |
【 概 要 】−天慶7年藤原秀郷が開基、宥尊上人が開山。永仁年間に俊海が再興、伏見天皇の勅願所として隆盛。徳川家康の遺骸の宿所になった事で御朱印50石を安堵、境内に東照宮を造営、田中正造の墓。関東の三大師。
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佐野城 |
【 概 要 】−慶長12年に佐野信吉が築いた平山城です。本丸を中心に二の丸、三の丸、北出丸と直線的に配され、それぞれの郭は内掘りによって囲われ、さらに外側に外掘がありました。慶長19年に廃城。佐野市指定史跡指定。
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龍江院 |
【 概 要 】−明応3年、佐竹氏が摸庵宗範を招いて開山。戦国時代には水戸城に移り、慶長7年に水戸城内から離れると下野国を点々、慶長18年に現在地に移り牧野氏から庇護されます。木造エラスムス像は国指定重要文化財。
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唐沢山城 |
【 概 要 】−天慶5年、藤原秀郷が築城(伝)。中世は秀郷の後裔とされる佐野氏の居城として整備、拡張。唐沢山全体が城塞化した連郭式山城で戦国時代には10度にわたる上杉謙信の猛攻に耐えた。関東七名城。栃木県立自然公園。
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唐沢山神社 |
【 概 要 】−創建は明治14年、藤原秀郷を祭神として社殿を建立したのがはじまりです。明治23年(1890)に別格官幣社に列格し第2次世界大戦前まで続きました。境内は唐沢山城跡で社宝である「避来矢鎧」は国指定重要文化財。
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人丸神社 |
【 概 要 】−元慶元年(877)、柿本人麻呂の分霊を勧請したのが始まり。境内には元禄4年に奉納された石鳥居や元禄元年に奉納された石灯篭、社宝には宝永7年に江戸講中から奉納された神楽面や絹本着色柿本人丸像など。 |
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大庵寺 |
【 概 要 】−永禄11年、佐野昌綱が家臣である津布久昌成の菩提を弔う為に開かれました。この由来は紙本墨書念仏日記に詳細に記されていて昌綱をはじめ家臣488名が念仏を唱えたそうです。木造阿弥陀如来坐像をは佐野市指定文化財。
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出流原弁財天 |
【 概 要 】−藤原秀郷が天暦2年に勧請したのが始まり。境内には鳥居と山門が存在する神仏混合の形式を踏襲するもので高台の崖地に築かれた弁天堂は朱色に塗られた三層の懸造りの御堂は印象的で存在感があります。
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願成寺 |
【 概 要 】−創建は宝亀年間に開山したと伝えられています。天慶元年に藤原秀郷が現在地に堂宇を移し再興、その後衰退しますが慶長年間に領主となった佐野源左衛門常世によって再建され、以降佐野家の菩提寺として庇護されます。
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出流原湧水 |
【 概 要 】−出流原湧水は栃木県指定天然記念物に指定され、名水百選に選定される程の名水として知られています。近くには出流原湧水を守護する出流原弁財天が祭られ信仰の対象となっています。朝日長者伝説の舞台でもあります。
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朝日森天満宮 |
【 概 要 】−朝日森天満宮は治安3年(1023)に藤原秀郷から7代後裔の足利家綱(唐沢山城の城主)によって建立された神社です。足利家綱は無実の罪で大宰府に流されましたが、太宰府天満宮の御加護により復権したそうです。
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