【 概 要 】−惣宗寺(佐野厄除け大師)の創建は天慶7年平将門の乱を平定した藤原秀郷が開基となり宥尊上人が開山したのが始まりと伝えられています。その後一時衰退しましたが永仁年間に秀郷の後裔で比叡山の僧俊海が再興、伏見天皇の勅願所として、転法輪院の号を賜り、領主である佐野氏の庇護もあり寺運が隆盛します。佐野氏の居城唐沢山城は慶長7年に幕府から廃城を命じられ惣宗寺の境内があった春日岡に新たに佐野城を築城する事になり現在地に移されます。佐野氏は慶長19年に突然改易となり松本へ配流されますが元和3年に徳川家康の遺骸を遺言に従い駿河国久能山から日光東照宮に移す際、宿所となった事で幕府から庇護されるようになります(ただし、遺言では遺骸は久能山に葬り、御霊を日光に遷すようにと記載されている為、遺言通りとすれば、惣宗寺には遺骸ではなく御霊が宿泊した事になります)。江戸時代を通して御朱印50石を拝領し、三代将軍徳川家光が参拝、文政11年には幕府が東照宮を境内に造営しています。又、惣宗寺は比叡山延暦寺中興の祖とされる良源を祀る佐野厄除大師として多くの参拝者を訪れてます。境内には田中正造の分骨された墓があります。
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