栃木県・佐野市・朝日森天満宮

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朝日森天満宮
【 概 要 】−朝日森天満宮は平安時代末期の治安3年(1023)に平安時代中期の貴族・武将で下野(現在の群馬県)・武蔵国(現在の埼玉県と東京都)の国司と鎮守府将軍で百足退治の伝説の主人公としても名高い藤原秀郷から7代後裔の足利家綱によって建立された名社です。足利家綱は唐沢山城の城主で、優れた武将であると同時に腕自慢でもあり京都での仕事ぶりも評判で高い評価を受けていました。しかし、同僚から嫉妬と妬みを買い、家綱に対しての嘘言を上司に報告され、それが原因となり大宰府に左遷される事になりました。家綱が住んだ宿舎は、家綱と同様に無実の罪により大宰府に流された菅原道真と同じだった事から因縁を感じ、菅原道真が祭られている太宰府天満宮に毎日参拝しました。暫くすると、朝鮮から派遣された3人の力士と日本の力士が国家の威信をかけて力比べをする事になりましたが、日本の力士は皆尻込みして誰も受けて立つ人は現れませんでした。そこで、朝廷は足利家綱に白羽の矢を立て左遷先の大宰府に遣いを出し、天皇の勅命により朝鮮の力士達と力比べをする事になりました。家綱は多くの観衆が見守る中、3人の朝鮮の力士をたった一人で相手にし、全て勝利を収める事が出来ました。家綱の罪は晴れ、沢山の褒美をもらい凱旋帰国した際、家綱はこれは大宰府天満宮の御蔭として、唐沢山城の城内(天神沢)にも天満宮を祭るようになったと伝えられています。その後、足利家の後裔である佐野氏が唐沢山城の城主になった後も引き続き篤く信仰され、江戸時代に入り、唐沢山城から江戸城が俯瞰出来るとして廃城になった為、現在地に境内を移しています。その後、佐野氏が改易となり庇護者を失いましたが、その後の領主達も朝日森天満宮を信仰し、特に日光東照宮の例祭に幣帛を奉献する為に佐野を訪れた例幣使は朝日森天満宮を小休所として利用し数多くの色紙短冊を奉納しています。
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朝日森天満宮(佐野市):周辺の見所

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