【 概 要 】−磯山神社は平安時代後期の永延2年(988)、高野下野藤原権助によって創建された古社で、当初は当山明神と呼ばれ、磯村、亀和田村、赤塚村、七つ石村、羽生田村の総鎮守として信仰されていました。鎌倉時代末期の永仁6年(1298)に西方城の城主西方遠江守烏丸景泰(烏丸大納言)が宇都宮二荒明神(栃木県宇都宮市:現在の二荒山神社)の祭神を勧請合祀して代々の祈願所としました。西方景泰は宇都宮景綱の3男武茂泰宗の2男で西方城を築城すると地名に因み西方氏を名乗ったとされます。永正12年(1515)に皆川宗成の侵攻により西方城は落城している為、磯山神社は西方氏からの庇護が離れたと思われます。新たに領主になったは壬生城(栃木県壬生町)と鹿沼城の城主である壬生氏で特に第5代当主壬生義雄(氏勝)は篤く信仰し永禄10年(1567)には鰐口を寄進しています。壬生義雄は小田原北条氏に接近し主家である宇都宮家からの独立を画策、天正18年(1590)の小田原の役でも北条方に与しその直後に病死した為に壬生氏が没落、磯山神社は庇護者を失います。江戸時代に入ると幕府からの庇護を受け朱印地を安堵されています。本殿は江戸時代中期の建造物で栃木県指定文化財に、御神木である大杉は鹿沼市指定天然記念物に指定されています。
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