栃木県・足利市・足利学校

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【 概 要 】−足利学校の創設には諸説あり遺制説、小野篁(平安時代前期の公卿・文人。 参議・小野岑守の長男。)創設説、足利義兼(平安時代末期から鎌倉時代前期の武将。鎌倉幕府の御家人。足利氏の初代義康の子で、第2代当主。)創設説などがあり、室町時代に入った永享11年に関東管領上杉憲実が大家快元和尚を招いて足利学校を再興しました。享禄年間の火災で一時衰退しましたが北条氏政の庇護により再興、天文年間に最盛期を迎えフランシスコ・ザビエルによって足利学校の内容を母国に紹介し日本で一番優秀で有名な学校と評していました。その後も長尾足利氏に庇護され天正18年の小田原征伐で北条家と長尾足利家が滅ぶと庇護者を失い再び衰微しました。江戸時代に入ると徳川家康(江戸幕府初代将軍)によって庇護を受け新たに足利学校領として100石が与えられました。歴代領主も庇護した事で運営的には安定していましたが京都や江戸での朱子学などの学問が発展した為、一地方学校的な存在となりました。江戸幕府が滅びると庇護者を失い足利藩が管轄する事になりましたが明治4年に廃藩置県となり明治5年に足利学校は廃校になりました。廃校後は多くの建物が破却され敷地も校庭も縮小されましたが明治36年に足利学校遺蹟図書館が建設されると書籍などが引き継がれ、保存活用、敷地も順次返還されました。足利学校の跡地は名称「足利学校跡(聖廟および附属建物を含む)」として国の史跡に指定されています。
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足利学校(足利市):周辺の見所

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