【 概 要 】−鑁阿寺の創建は足利氏の祖となった源義康(源義家4男義国の次男。官位は陸奥守従五位下後、大夫尉)が屋敷内に堀内御堂を建立し持仏である大日如来像を祀ったの始まりとされます。文暦元年(1234)三代目足利義氏が堂塔伽藍を建立や境内の整備をし代々の足利氏の氏寺としました。中世は足利氏の庇護の元寺運が隆盛し支院は12頭を数え、南北朝時代の終わりごろにはは、鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)の別当になりました。足利氏の衰退とともに一時衰え豊臣秀吉の兵火などあり堂宇の一部を焼失しましたが天正19年(1591)徳川家康が寺領60石を寄進し鑁阿寺を再興します。江戸時代に入っても歴代将軍に庇護され特に5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院は元禄5年(1692)に多宝塔を造営しています。鑁阿寺は大きな火災など少なかった為、本堂(正安元年:1299年建築−国宝)や鐘楼(天福2年:1234年建築−国指定重要文化財)、経堂(一切経堂:応永14年:1407年建築−国指定重要文化財)、御霊屋(江戸時代建築−栃木県指定文化財)・多宝塔(元禄5年:1692年建築−栃木県指定文化財)・太鼓橋(栃木県指定文化財)・東門・西門(永享4年:1432建築−栃木県指定文化財)・山門(楼門:天正18年:1590年建築−栃木県指定文化財)など古くからの建築が残り、寺宝なども多数所持しています。又、境内は鎌倉時代に築かれた足利氏の居館跡で水掘や土塁など良好に保存されていることから大正11年(1922)に「足利氏宅跡」として国指定史跡に指定され、平成18年(2006)に日本名城100選に選定されています。
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