【 概 要 】−樺崎八幡宮の創建は正治元年(1199)足利義氏がこの地に八幡神を勧請し足利義兼の御霊と合祀したのが始まりと伝えられています。この地は建久年間(1190〜99)義兼が母の菩提を弔う為、理人上人を招き開山した法界寺(樺崎寺)跡地で、後年、鑁阿寺の奥の院として義兼が念仏を唱えながら生活し正治元年(1199)に入寂しました。その後も鎌倉時代、室町時代と足利氏の庇護となり社領の寄進や社殿の造営など行い繁栄しましたが、戦国時代足利将軍が滅ぶと急速に衰退します。江戸時代に入ると足利氏系の唯一の大名喜連川氏が庇護し社殿の再建など行いますが当時の格式は維持できず明治時代初頭に発令された神仏分離令により法界寺は廃寺となり現在に至っています。現在の本殿は天和年間(1681〜84)の再建されたもので、桁行2間、梁間2間、隅木入春日造り、銅板葺きで両側は高欄付縁張り、建物全体が極彩色で彩られています。江戸時代初期の神社建築であり歴史的背景や意匠が優れている点から昭和61年(1986)に足利市指定有形文化財に指定されています。又、樺崎八幡宮境内及び旧法界寺(樺崎寺)跡地は足利源氏を知る上で大変貴重な遺跡として国指定史跡に指定されています。
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