輪王寺(日光市)概要: 輪王寺の創建は天平2年(766)、勝道上人が現在の四本龍寺附近で祈祷していたところ、急に紫色の雲が発生し男体山の方へたなびくのを見た事から、この地を四神守護(青龍、朱雀、白虎、玄武)の霊地と悟り開創したのが始まりと伝えられています。さらに現在の本宮神社附近に男体山の神を勧請し、天応2年(782)には山頂に登り二荒山神社奥宮を建立し、延暦3年(784)には中禅寺湖畔に男体山の遥拝所として二荒山神社中宮祠と中禅寺湖を開いています。嘉祥元年(848)には慈覚大師円仁が中興したとされ三仏堂、常行堂、法華堂などの堂宇の建立や境内の整備を行いました。中世は歴代領主や権力者によって崇敬、帰依され寺運が隆盛し「日光三所権現」として山岳信仰も盛んになりますが戦国時代末期になると輪王寺が北条氏領で関係が深かった事から豊臣秀吉により寺領を没収され一時衰退します。江戸時代に入ると天海僧上が再興し元和3年(1617)には江戸幕府の初代将軍徳川家康を祭る日光東照宮が創建され、承応2年(1653)には3代将軍徳川家光の霊廟である大猷院が建立され、翌年の明暦元年(1655)には後水尾上皇から「輪王寺」の寺号を賜ります。明治時代初頭に発令された神仏分離令により古来から神仏混合だった日光山全体を日光東照宮、二荒山神社、輪王寺と「二社一寺」に分離され輪王寺も一時称号を没収され本坊が火災にあうなど憂いを被りましたが明治15年(1883)に輪王寺の寺号が許され、堂宇も随時再建されました。現在でも古建築、寺宝など多くの文化財を所有し日光東照宮、二荒山神社と共に「日光山内」として国指定史跡に指定され、「日光の社寺」として世界遺産に登録されています。
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輪王寺の文化財(建築・建造物)
・ 本堂(三仏堂:附 銅燈籠2基)−正保4年、入母屋、銅瓦葺−国指定重要文化財
・ 護法天堂−元和5年、寄棟、銅瓦葺、桁行5間、梁間3間−国指定重要文化財
・ 相輪とう−銅製−国指定重要文化財
・ 本坊表門−江戸中期、三間薬医門、銅板葺−国指定重要文化財
・ 開山堂 (附 石燈籠1基)−享保5年、重層宝形造−国指定重要文化財
・ 常行堂−元和5年、宝形造、銅瓦葺、桁行5間、梁間6間−国指定重要文化財
・ 法華堂−慶安2年、宝形造、銅瓦葺、桁行3間、梁間4間−国指定重要文化財
・ 常行堂法華堂渡廊−桁行8間、梁間1間、切妻、銅瓦葺−国指定重要文化財
・ 慈眼堂廟塔(石造五輪塔)(附 石柵・石造六天像・石几・石華瓶)−国指定重要文化財
・ 慈眼堂拝殿−慶安2年、桁行5間、梁間3間−国指定重要文化財
・ 慈眼堂経蔵−江戸時代初期、桁行3間、梁間2間−国指定重要文化財
・ 慈眼堂鐘楼−江戸時代初期、桁行3間、梁間2間−国指定重要文化財
・ 慈眼堂阿弥陀堂 (附 石燈籠15基・石多宝塔1基)−国指定重要文化財
・ 児玉堂 (附 石燈籠1基)−一間社流造、銅瓦葺−国指定重要文化財
・ 観音堂(香車堂)−正徳3年、一間社流造、銅瓦葺−栃木県指定有形文化財
・ 行者堂−江戸中期、切妻、桁行2間、梁間3間−栃木県指定有形文化財
・ 釈迦堂−宝形造、銅板葺−栃木県指定有形文化財
・ 釈迦堂表門−切妻、銅板葺−栃木県指定有形文化財
日光山内・日光の社寺・世界遺産
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