日光市・歴史・観光

  栃木県の観光と歴史的建築物(ホーム)>日光市
日光東照宮
 ・ 石鳥居
 ・ 五重塔
 ・ 表門
 ・ 三神庫(想像の象)
 ・ 神厩(三猿)
 ・ 御水屋
 ・ 輪蔵
 ・ 鐘楼
 ・ 本地堂
 ・ 陽明門
 ・ 回廊
 ・ 神輿舎
 ・ 神楽殿
 ・ 祈祷殿
 ・ 御本社
 ・ 坂下門(眠り猫)
 ・ 御宝蔵
 ・ 奥宮拝殿
 ・ 鋳抜門
 ・ 奥宮
輪王寺大猷院
 ・ 仁王門
 ・ 宝庫
 ・ 水盤舎
 ・ 二天門
 ・ 人界庭園
 ・ 鐘楼
 ・ 夜叉門
 ・ 唐門
 ・ 拝殿
 ・ 本殿
 ・ 皇嘉門
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
日光市・歴史・観光・見所
日光市概要: 日光市の歴史は古く天平神護2年(766)勝道上人が四本竜寺を創建した時に始まるといわれています。その後、上人は男体山山頂に二荒山神社奥宮を建立し、麓には中宮祠、神宮寺(中禅寺)を開き日光山の祖を築くと信仰の聖地として多くの修験僧が入山するようになりました。弘法大師空海や慈覚大師円仁など高僧も来山したされ広域に信仰が広がり、時の権力者や領主などに崇敬、帰依され政治的にも利用されました。中世に入ると神仏混合が進み日光三所権現信仰と呼ばれる独特な宗教形態になったとされ、「男体山=男体権現=千手観音」、「女峰山=女体権現=阿弥陀如来」、「太郎山=太郎権現=馬頭観音」としてそれぞれを渾然一体として信仰されるようになりました。この頃が日光山の最盛期とされ寺社領は周辺六十六郷(日光・足尾・今市・藤原・栗山・鹿沼・粟野・宇都宮)に及び大きな影響力があったと云われています。江戸時代に入った元和3年(1617)に江戸幕府初代将軍徳川家康を祀る東照大権現が勧請され、さらに、寛永13年(1636)には三代将軍家光によって「寛永の大造替」が行なわれ現在に見られるような日光山の姿になりました。日光東照宮は幕府の威光であり権威の象徴でもあった為、政治的にも利用され朝廷からは例幣使が毎年参拝に訪れ、将軍や諸大名なども日光に詣でを恒例としたので門前町や宿場町として発達し日光街道や日光例幣使街道などが整備されました。明治時代に入ると庇護者を失い、更に神仏分離令による「日光二社一寺」にまとめられたことで一時衰退しますが、文化的価値が非常に高く、歴史的、文化的意義や多くの国宝や重要文化財があることで「日光山内」として国指定史跡を受け、近年では「日光の社寺」として世界遺産に登録され日光市は多くの観光客を受け入れています。
  スポンサーリンク
 
日光市
日光東照宮
日光東照宮
日光東照宮
大猷院
輪王寺大猷院
輪王寺大猷院
輪王寺
輪王寺
輪王寺
二荒山神社
二荒山神社
二荒山神社
逍遥園
逍遥園
逍遥園
四本龍寺
四本龍寺
四本龍寺
本宮神社
本宮神社
本宮神社
滝尾神社
滝尾神社
滝尾神社
神橋
神橋
神橋
虚空尊堂
虚空尊堂
虚空尊堂
日光教会
日光真光教会
日光真光教会
日光駅
日光駅
日光駅
寂光の滝
寂光の滝
寂光の滝
若子神社
若子神社
若子神社
清滝寺
清滝寺
清滝寺
霧降の滝
霧降の滝
霧降の滝
華厳の滝
華厳の滝
華厳の滝
大使館
旧イタリア大使館
イタリア大使館
中禅寺
中禅寺湖
中禅寺
中禅寺湖
中禅寺湖
中禅寺湖
中宮
二荒山神社中宮
二荒山神社中宮
奥宮
二荒山神社奥宮
二荒山神社奥宮
男体山
男体山
男体山
竜頭の滝
竜頭の滝
竜頭の滝
戦場ヶ原
戦場ヶ原
戦場ヶ原
湯ノ湖
湯ノ湖
湯ノ湖
湯滝
湯滝
湯滝
裏見の滝
裏見の滝
裏見の滝
鬼怒川温泉
鬼怒川温泉
鬼怒川温泉
龍王峡
龍王峡
龍王峡
住宅設計

 ※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「栃木県の観光と歴史的建築物」は「栃木県の歴史」、「郷土資料辞典−栃木県」、「日本の城下町−関東(一)」、「城郭と城下町−関東」、「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。